2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災から10年が経ちました…
仕事人生40年、この3月をもって会社を辞めるおいらですが、そのうちの4年間を宮城県 山元町で単身赴任しておりました。東日本大震災がなければ別の人生を歩んでいたのではないかと思うことがあります、たとへば早々に上司と喧嘩して今の会社は辞めていて、挙句の果てに嫁にも捨てられ、風に吹かれてぷーらぷら.. 「おっと.. これからやろうとしていることとどこか似ているように感じるんだけれど」…
山元町は宮城県最南端の太平洋に面した小さな町(南北11Km,東西6Km)で、人口は1万2千人ほど、居酒屋の数は4軒あるかないかで、パチンコ屋は今や廃屋と化し放置された建物だけが国道沿いに一軒あるだけ…
不良少年などはいるはずも無く、おだやかな人々の住む平和な町でした。(おいらの感想です)
いちごとりんごとほっき貝が名産の空がとても綺麗な所でした…
「親切で話好きな理容 さいとうのおいちゃんとおばちゃんは元気なんだろうか、コロナなんかにかかってないだろうな~」… コロナなどなければ、車中泊放浪の旅の途中に立ち寄って頭を刈ってもらうのに…
現在は災害遺構として整備されたという中浜小学校もおいらのいた頃はまだ手付かずでした…
※ 中浜小学校 ⇒ 震災当日、津波から逃げ遅れた児童と父兄と職員(90名)が校舎3階の屋根裏部屋に避難して一夜を明かして翌日自衛隊ヘリにより全員無事に救助された沿岸部にある小学校。
「そうそう、去年の3月11日は献花に訪れたんだっけか… たしか地元採用の生意気なケン坊と一緒だったんだ」…
※ 東日本大震災による山元町の被災状況は死者637人、全壊した家屋は2,217棟でそのほとんどが津波によるものだったようです。(山元町ホームページより)
「ケン坊、先に献花してきな.. おいらが写真を撮って、全国区のブログに載せてやるからよ~」なんてえらそうなことを言ったんでした… そしてパチリと撮ってブログを投稿したんです。
そのケン坊も4月から晴れて仙台藩のお役人になるんだと.. 風の便りで知りました…
本日、そのケン坊から電話が入って、その時に言ってやりました…
「慣れない職場で最初は大変だろうけれども、身体には気を付けて、頑張んなよ」ってね…
そして「役人風を吹かせるような、けちな男になるんじゃないぜ」とも…
自分がけちで根性もないくせに、相手が若いと思っていい加減なことを言ってしまいました… ペコリ
震災から10年が経ち、震災前の山元町に戻ることはないだろうけれども、震災による悲しさ苦しさ別れなど平常時ではありえない経験をされた町民の皆様のこれからのご多幸と新生山元の益々の繁栄を祈念しまして、今日のブログはこれにてお開きとさせていただきます。
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