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江差の夕焼け

2024.夏の車中泊放浪(41日目)

道の駅 みなとまーれ寿都で目を覚まして、朝飯を食べてブログを書いて いざ出陣..目指すは江差のかもめ島。

法定速度で走っていると景色がよく見えて最高ですね。トロトロ..

さっそく弁慶岬なる観光地をみつけて寄り道。

弁慶岬とは..ふむふむ..

奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡って寿都に滞在した。弁慶は毎日この岬の先端に立って同志の到着を待ったが、再会することはできなかった。 そんな弁慶の姿を見ていたアイヌの人たちはいつしかこの岬のことを「弁慶岬」と呼ぶようになった。「とりあえず、納得」..

以下は横須賀オヤジの創作です↓。

「不憫に思ったアイヌの長老が、この岬から丸木船で大陸に渡るのを手伝い、そして義経はジンギスカンになった」.. チャン.チャン..!

この岬には灯台もあります。

崖下に広がる磯場は磯釣りの超一級ポイントのようで、大きなぶりが釣れるとか..

ススキの穂が風にゆれていました、秋はそこまで来ています。

それではさきを急ぎましょう。トロトロ..

トロトロと走っていると景色がよく見えて最高ですね。水の色がきれいなもんで、

ここらで大休止をとることにしました。

移動距離が長い日はウクレレの練習時間に気をつかいます、そんなときは極力景色のいいところに停まって1時間ばかり練習するようにしています。

1時間ばかりウクレレを弾いて、それでは江差を目指しましょう。

この先の国道が土砂崩れで通れないために道道に迂回します。去年もここを迂回しましたが、今だ復旧されないのは、この辺りの冬はおそらく工事にならないからでしょう..

こちら↑がう回路の道道で、上がり下のおおい曲がりくねった道なのです。

う回路から国道に戻れば、あとは余裕のよっちゃん、江差の町は目と鼻の先。

そんなこんなで江差に到着、開陽丸が迎えてくれました。

徳川幕府の旗艦 開陽丸は榎本武揚が艦長で、戊辰戦争では徳川慶喜が大阪城から江戸城へ逃げ帰った時に乗った船でもあります。新選組の土方歳三もこれに乗って蝦夷地へ..そしてここ江差の地で開陽丸は座礁して沈没しました。 幕末維新を語るうえでは なくてはならぬ艦船なのです。

今ブログを書いていて、船内を見ることができたことを知りましたが、来夏は必ず見学をしようと思いました。

今回 かもめ島へ来たのは開陽丸じゃなくて、ここにある無料のキャンプ場を利用することが目的でした。が..  駐車場からはなれているので無理な感じ..

とりあえず散策だけさせてもらって。「どれどれ」..

かもめの散歩道を行ってみましょか..

ふむふむ.. 北前船の係船跡があるようです。

上の写真↑ 朽ちかけた丸太がもやいをかけた杭のようです。

北前船が廻航されていた当時はこちらのかもめ島が主たる船着き場だったようですが、現在は陸地に沿って港湾が整備されています。

現在のかもめ島は陸続きで半島の体をなしていました。

キャンプ場には泊まれそうにないので、今夜は道の駅におせわになることにしました。

道の駅の駐車場からは夕日がきれいに見られそうな、今日の日没が18時半くらいなので、

夕景を見るために17時に開く繁次郎温泉に浸かって、夕飯の買い出しもしてくることに..

道の駅を徒歩で出て、知らない町をあるいてみようと、尾山町内に入っていきます。

まずは繁次郎温泉で風呂に入って、※繁次郎とは幕末のころ江差に実在したとんち名人とのこと

そのあとセコマで夕飯を買って道の駅駐車場に戻るつもりです。

こちら↑が繁次郎温泉です。営業時間は17時から22時で、料金は一般¥300-で65才以上は¥150-也..ただし身分証明書の提示が必要です。浴室にはボディーソープ等はおいてありません。

温泉というよりも銭湯といった感じでした。

道の駅から繁次郎温泉までは散歩がてらに歩いて ちょうどいい距離でした。

やれやれ、日没に間にあいました..

暮れなずむ江差の町。

今日の日よさようなら.. 明日はいよいよ北海道をあとにするのです。いと寂し..

風呂のあと寄ったセコマは、弁当を調理しない方の店でした。しょうがないので、冷やし中華にこわけの総菜を買って、2024年北海道最後の晩酌としました。

道の駅 みなとまーれ寿都 Ⓑ弁慶岬 ©道の駅 江差

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