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知らない街を走ってみたい(横須賀編)

横須賀在住だからって街を知っているわけではありません、灯台下暗しとでもいうんでしょうか…

散髪から

とりあえずは散髪から、ラッキーでした待つことなく丸刈り3mm完了。昼時ですが食事は抜き、ただしバナナジュースを一杯飲みましたが。これより横須賀歴史散策に出かけます。

衣笠城址から

まずは近場の衣笠城跡を見てその後は満昌寺に向かいます。衣笠城跡に作らた公園が衣笠山公園だとばかり思っておりました 15年ほど前からずっと。入口からたったの700m 楽勝じゃないかと思い 左斜め手前方向に入っていったんですが、坂がだんだんと斜度を増し、途中から下車して押してゆきました。上りきったところに駐車場があり園内の案内板が… 衣笠城跡がありません? なんでだろうと公園の管理人さんに

衣笠城跡にいきたいんですが」… 「こちらからもいけないことはありませんが、この先は車両の乗り入れは出来ませんし 途中から登山道になりますよ、三浦縦貫道の入り口があるでしょう そちらから入ったほうがよろしいかと」… 以下 心の中で 「きつい坂を上ってきたのによ~、戻んのかよ~、チッ!

衣笠城址はこの上です

せっかく上った坂を下り、元来た道をゆらりゆらりと… ↑着いた所がこんなんでした。

階段じゃないかよ~、担いで行くか~」… 初めはコンクリートの階段でしたが、踊り場の2つ目先くらいから登山道になり… 藪も深くなってくる様子。

ここで待っていなさい

これ以上は無理」… タマモよここで待っていなさいと、ジャージの上着とヘルメットも置いて 徒歩で行くことに、先日の台風で倒木が道を塞ぎ 根こそぎ倒れているものもありました。

衣笠城址の石碑

命からがら(ちと大げさ)たどり着いたのが この石碑、読んでみれば衣笠城址。「これだけ… こんな狭いのかよ~」 落ち着いて周りを窺ってみたならば、一段下が公園のように整備されておりました。

案内図

フムフム、頼朝が伊豆で挙兵して 平家に負けて房総半島に逃げた時に、頼朝側についた三浦一族の長の三浦大介義明(和田義盛の祖父)が一族を房総半島に逃がした後 この城で籠城戦をしたとのこと、最後は松の木の下で切腹をしたそうな。城を攻めたのが畠山重忠… 義明の外孫だというからたまりません…

タマモよおまたせ~」 階段を担いで下りて次に向かったのが満昌寺(マンショウジ)。頼朝が三浦大介義明のために建立したお寺です。義明の座像が有名なんだとか。

鎌倉時代の散策は厳しいものがありました。急坂を上ったり下りたり 自転車を担いだりなんかして、途中で道に迷いそうになって遭難なんかしちゃうんじゃないかと… 無事に寺へこれたから良いようなものの…古い分だけ厄介だったようです。お次は大丈夫です 一気に幕末・明治の時代に飛びますもんで。

ペリー上陸記念碑

鎌倉時代から一気に飛んで江戸時代の末期(幕末の世)へ、次に向かった先は久里浜です。時は1853年だったか 米国の蒸気船(黒船)が4隻、ここ久里浜に現れて… これが元で幕末維新の動乱がはじまったとか。明治になってアメリカからの申し出でこの記念碑が建てられたそうです。

その後、太平洋戦争の時に記念碑は倒されたとのことですが…「了見が狭いんじゃねーの~」と思いました。戦後早々に復活したのが現在のものかと…

久里浜湾より千葉を臨む

久里浜駅周辺の焼き鳥屋さんや立ち飲み屋さんにはたまに来るんですが、ここまで来たのは何十年ぶりでしょうか、ペリー公園に入ったのは今日が初めてでした。

よっしゃ岬めぐりじゃい」お次は浦賀を目指しましょ~。

浦賀の渡し

タッタッタッタッ…. 渡し船に乗っております。この船は浦賀の湾を渡す船、大人一人が200円、自転車一台で50円。テレビの旅番組で見たことはありますが… 現物を見るのも 乗船するのも初めてでした。

なにげに…

なにげにタマモも楽しそうに感じられるのは私だけでしょうか。おいらを乗せて 浦賀駅のほうからグルッと周るよりは楽なはずです。

浦賀はドッグ

うごきだしたら対岸まで3分くらいだったんじゃないかと…

次は灯台へ

安全な航海でした… あちら側から渡ってきたんです。

観音崎灯台にて

 こちらは観音崎の灯台 ↑ 小学校の遠足以来だと思います。こいつも幕末維新の産物で 日米通商条約の後、欧米列強から三浦半島でいえば 三崎とこの観音崎に灯台を設置するように求められたとかで … ただし 観音崎の灯台は明治になってから建設されたようです。

猿島を臨む

海の向こう… 左の島が猿島です、正面に横浜のランドマークタワーが見えるんですが 上の写真では確認できません。タマモの写真を撮りましたが ここは自転車の乗り入れは禁止です。ジョガーが気持ちよさそうに走っておりました。

観音崎から走水へ、途中に美味しい穴子天丼を食べさせるお店があるんですが 準備中でした… 開いていたなら確実に食べてしまったに違いありません。駐車場がないお店で 道路も狭いもんだから、自転車で来た時くらいしか入れません…おいらもたったの一度だけ。大事の前の小事、がまん、我慢です… 油系は控えねば。

お竜の墓

そんなこんなで京浜大津の信楽寺へ到着しました。こここそが 、幕末維新の風雲児 土佐の坂本竜馬の奥様のお竜さんのお墓があるお寺です。

竜馬が暗殺されてからのお竜さんの人生も波瀾万丈だったようです。おいらが見たわけではありませんが、土佐の竜馬の生家で暫くは暮らしたようですが、竜馬の姉の乙女とそりが合わなくなり おいだされたのか 自ら出たのか、何かの本で読みました。そのあと横浜は神奈川区の料亭で働いていた時期もあり… その後横須賀へ、再婚して西村姓に。おいらが通う痛風の病院のある町で生涯を終えたようです。横須賀は海軍の街なもんで、お竜さんは海軍の関係者から大事にされて ここ信楽寺へ埋葬されたんじゃなかったかと… もしかするとおいらの勘違いだったかもしれませんが。

信楽寺

信楽寺を後にして、後は自宅に帰るのみ。

林ロータリーにて

道に迷いながら林のロータリーまで戻ってきました… あともう少しです。早く帰ってシャワーを浴びてラグビー 日本vs南アフリカ戦を観戦するんです、もちろんビールを飲みながら。

41.49Km

いや~、楽しかったです 知らない街のポタリング…お次はどこにいたしましょうか?

本日走ったルートです↑

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