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おいらに似てねー、次之助

今日も一日東北のとある町は暖かでした。今日は花金…. 今どきはプレミアムフライデーというんです。

昨日”ふとしたこと”から小銭を稼がせていただきましたので、今夜は盛大にいきたいと思います。鐘とともに去りぬ… ダッシュでいつものスーパーへ、

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今夜も居酒屋ブログ村が舞台です。

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思わぬ小銭でこんなんで~す。いつも買いたかったけれど我慢していたイカ刺しと大好物の鳥南蛮、これらはメインイベンターです、おいらの感覚ではメインは一つで十分ですが… モツ煮込みも再登場です。

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これが好きなんで~、↑ スルメイカ。ブログを読んでくださる皆様に感謝して、いただきます。

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テレビニュースを見てみれば、おいらの若いころに似ているインテリが。はやぶさ2のプロジェクトマネージャーだそうです、顔をつぶそうと思いましたがテレビだしOK? このブログが更新されていなければ、おかみに検挙されたと推測してください….

テレビニュースの彼を見たとき、「峠」を思い出しました。司馬遼太郎の小説です。3回ほど読み返しました。7年前だったと思います、「峠」の旅をしました。今夜のブログの練習は古い話ですが、「峠」でいかせてもらいます。

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この時は二度目です、一度目は、新選組の仲間達(ブログ記事の”墓参り”)と来ました。二度目は一人旅です、時間も十分にとれ記念館を1時間ほど見学することができました。

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ここです、新潟と福島をつなぐ只見線の沿線にあります。↑↓

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次之助は長岡藩の家老で、北越戦争で幕府軍を指揮した人物です。最後は上の写真の地で、戦死してしまいました。越後の長岡で官軍の銃弾をうけ負傷した次之助は戸板に乗せられて、会津に向かいました。その道中(80里越え)で歌を詠みました、「八十里、腰抜け武士の越す峠」。初めて「峠」を読んだ時に、この歌に感動しました。とことん、やるべきことをして負けてしまったら、潔く自分の負けをみとめて潔く自分を終う。凄いと思いました。

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河合次之助です、しっかりとした顔をしています↑自分に何気に似ているような、欲目…..?幕末維新の頃の写真は結構残っています、結構イケメンがおおいような..。↑私はこの写真が好きです。

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最近ちょこっと… 旅した頃(40から50代前半)の気持ちと、今(60代)の気持ち(ものの考え方)に”かいり”が出はじめているように感じます…..  40、50代→自分の思いをつらぬく、ただがむしゃらに、目的だけを見て。    最近→自分が良しとして動いたことと、それにひきずられる人は決してイコールではないということを多少考慮できるようになってきました。少しですが…. おいらの寅先生(映画、男はつらいよ)が映画の中で言ってました、「俺が芋食って、お前のけつからプ~とオナラが出るのか~?」「お前がそう思っていても、相手はそう思っているとは限らないぞ~」「俺とお前の身体は別々なんだよ~」と … そのへんを考えずに行動した現役時代は、会社内や夫婦間で結構ないさかいやもめごとが多かったように感じます。 40代の河合は若かった、もし河合が60代だったならば歴史は変わっていたかもしれない。官軍に恭順し、北越での戦争は回避されたかもしれない…… でももう昔の話。それでも今も河合次之助は大好きなんです……おいらの若い頃に似ているから、これ微妙な文章です。(遠い昔に生きていた人物が、未来の人物に似ているなんていいかた..NG?、ましてや、知名度のある方が知名度の無い方に似ているといういいかたがおかしい.. これもNG?) なんだか呑みすぎちまって、おいらがおかしい。すんませんでした。くどい話で…  中途半端な話で、すみませんでした。 酔うとインテリの片鱗が出てしまいます、こまっちまいます、おいらもさしずめインテリなんでしょうか…….

すんません….追申です、「峠」の車中泊旅で次之助記念館を後にしたおいらはこんな感じで反省会をしていました。       スズキエブリの室内です↓ 懐かしい写真です

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