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もつしげ

午前中に仕事をササッと済ませて、「午後からは休ませていただきます」と事務所をあとにしました。

こんなご時世じゃ、気合もはいらないし… もともと辞めてしまおうかと思っていた仕事なもんでなおさらのことです。コロナ騒ぎが終息するまでは放浪車中泊の旅にも出ることは出来ないだろうし… 「プラッと歩いて、家まで帰るか~」そんな気持ちで歩き出しました。ここのところ涼しい日が続いていたもんで薄手のジャンパーをはおっておりましたが、そいつをザックにしまって。昼飯を食べていないもんで、どこかに寄っていくといたしましょう。

しばらく歩くともつしげ吉野町店の前へ… 「12時開店、ハッピーアワー 、メガハイボールが¥90也」そっと奥を覗き込んで客の人数を確認すると、ひーふーのたったの二人、それも左手階段下のテーブル席に… 「どうしよう入り口でもたもたしていると眼鏡の店長に見つかってしまって、「お客さんどうぞどうぞ奥へどうぞ」と…

店へ入ってびっくりしました。入店させる人数は平常時の半分にして、営業時間は12時から20時の様子。おいらが好きな引き戸は開け放たれ、入店した客にはアルコール消毒で お出迎え… 

それじゃ、ちと顔だけでもと … お飲み物はホッピーにして、てっぽうをタレで2本とピリ辛のもやしを注文して、軽くやらせていただきました。東北単身赴任へ出る前の現役時代 最後の2年間はよくおせわになっていたお店なのです。 週に二回くらいは通っておりましたか、ハッピーアワーが目的で、メガハイボール¥90を二杯呑んで、串を適当に注文して塩煮込みかトマト煮などが定番でした… お通しはキャベツじゃなくて まめもやしを選んでおりました。「ごちそうさん」と¥2,000を差し出せば、「ありがとうございました」と小銭が帰ってきました… 懐かしい思い出です。

本日 2年ぶりに戻ってまいりました。「何が旨かったっけか~…?、何を注文していいのか初めはちと戸惑いましたが、しばらくするうちに2年前を思い出して、がつ塩焼きとピリ辛の豆もやしを良く注文していたことなどを思い出して… すると眼鏡の店長も思い出したらしく、「お客さん… 以前はよくご来店くださっていましたよね~」… 「ちと訳ありまして、2年ほど旅にでておりましたそんなこんなでそろそろ帰ろうかと思っていると、社長さんのお出ましです。「いつもありがとうございます」… 「社長さん、大変だけれども頑張ってください、ごちそうさまです、お会計を

もつしげをあとに、次の目的地を目指しました。途中渡った橋の上に立ち止まって… 「たしかこんなことがあったっけか~ その昔、15~20年ほど前に一頭のアザラシがこの運河のこの辺りまで入ってきたことがあって、アザラシの名はたしか多摩ちゃんだったか… 。現場へ行くふりをして見に来たのです、その日は見ることが出来ずにワイドショー番組の映像で後日見たのを覚えております。

橋を渡ってしばらく歩けば、幼少のころから成人になるまでの間おせわになっていた町に入ります。懐かしき思い出にひたりながら歩きました。「おっと、ウーバーイーツかい… あれが噂の黒バッグ、山元町では一度も見なかったな~

懐かしき街並みを歩いて、次なる目的地へ到着しました。中華料理は太田楼(おおたろう)、ガキの頃に親しんでいたお店です。ガラガラっと自動ドアが開いて店内へ入ると… 「こんにちは、またお会いしまして、先ほどはどうもありがとうございました」ズズッ…こちらこそ 声をかけてきたのは先ほど会ったばかりの”もつしげ”の社長さんでした。経営する店舗を全て周って遅い昼飯のようです、ラーメンをすすっておりました。

カタヤキそばをお願いします カタヤキを食べながら、太田楼の店主ともつしげの社長の会話を聞くともなしに聞いて… 経営者の大変さを感じました。「店を閉めてしまえば、従業員はどうなってしまうんだよ~、だからうちは12時から開けているけれども… 客足はさっぱりで」… 「国や県から出される助成金もあてにはならないし」… ズズッ… ※ズズッ→ 麺をすする音

ラーメンを食べ終えた もつしげの社長さんが、 「お客さんはこの辺りにお住まいですか」?… 「いえ、おいらは横須賀です、ガキの頃にこの辺りに住んでいたもんで無性にこのカタヤキそばが食べたくなることがあって、ときどき ふらっとくるんです 「私も同じです、今は別の所に住んでいますが、子供の頃にこの辺りに住んでおりました。ここの味が好きなもんでちょくちょく寄らさせてもらっています。どうぞこれからもうちの店をよろしくお願いいたします。それではお先に失礼します」…「今は大変だろうけど、頑張ってよ~ 仕事嫌いなおいらなのに言ってしまいました、頑張れなんぞと…

太田楼をあとにフラフラと、京急上大岡駅を目指しました。その途中で… 「ずいぶん綺麗に整備されたじゃないかい、この階段 その昔は成美学園へ続く階段でした、現在では校名を英和学院と変えたようです。子供の頃 この階段を100段々と呼んでいたように記憶しております。

やれやれ、途中休み休み100段々を上って、3本の 大きなクヌギの元へ … かれこれ50年ぶりの再会です。「大きくなりやがって 中学生くらいまでは夏になるとこのクヌギの木のうろでクワガタなどを捕まえておりました。そのころから比べると倍くらいに成長しているように感じました。クヌギの木を左に見て、しばらく進むと英和学院の正門があります、正門を右手に見て坂をくだれば勝国寺の山門が見えてきます。その先を右に上って静かな住宅街の尾根を歩きました… 「随分と住宅が張り付いたもんだぜ

この尾根のどこかを右に下りれば鎌倉街道は弘明寺辺りに出られるはずです。ちと分かり辛かったので、子らを遊ばす奥様方に道を尋ねました… 「地下鉄の弘明寺駅に行きたいんですが?… 「それでしたら、その先の階段を下れば出られます」… 「どうも、ご親切にありがとうございます

横浜の地形の特徴は小さな丘が幾重にも重なっているところでしょうか、小さな丘へのアクセスには、車の通れる道は狭いし、袋小路だったり、車の通れぬ道もあるし、それすらないところには階段もあるのです。そんな階段をやれやれ下って、大岡川の岸辺におりてきました。黄金町辺りとは打って変わって、この辺りから上流の大岡川には里川の風情があります。

河口から6.2Kmのこの辺りから先に京急上大岡駅があります。おいらが子供の頃には、弘明寺から先には人が住んで居ないのではないかと思っていました。鎌倉を中心に横須賀と金沢文庫辺りまでは人が住んでいて、上大岡周辺はおそらく人跡未踏の山の中であったような… そんな印象が強いのです。

それが今では横浜の顔の一つになっております。ただおいらの記憶にある上大岡の街は、成人以降の記憶の中だけに存在していて、幼少期の記憶にはすっぽりと抜け落ちているのです。

ちと歩きすぎたのか左足の小指の付根がうずきます、もつ焼きが悪いのか、それとも酒が悪いのか… もうこれ以上歩けそうにないので、大人しく京急上大岡駅より電車に乗ろうと思います。疲れてしまいましたが、楽しい徘徊でした。

なんで~やるじゃねいかい…→ もつしげ社長のHPはこちらから

毎日のブログ更新はきついものがあります。通勤時間の無い山元事務所の頃ですら時に午前様になるしまつで、横須賀に帰った今、毎日のブログ更新には無理があると痛感しております。奮闘努力をして更新を続けてゆく所存であります。「下の60代オヤジや車中泊の旅のバナーのクリックをお願いいたします」 バナーをクリックしていただける喜びを糧に、ブログ更新を継続してまいります。…ペコリ ペコリ

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