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知らない街を走ってみたい(酒田編)1

満腹でペダルをこぎました…ゲボッ どんな写真が展示されているんでしょうか、「泣いたりなんかしないだろ~な」…

ホシナ食堂を出て

知らない街の食堂でとる食事は癒しです…子供の頃の横浜の下町を思い出しました。

最上川を渡り

ふたたび最上川を渡ります、はるかかなたに見えるのは月山でしょうか。気がゆるんでいるもんで 鼻歌なんかが自然と出て来ます → 知~らない..街を歩いてみ~たーい..ど~こか.遠ーくへ行きぃ~たぁあい♪♪… 「学生街じゃないのか~、それにしても近代的な…道路幅は広いしグランドなんかも… いやに垢抜けている街並みじゃね~かい」…その先をちょいと進むと左側に土門拳記念館の案内板が…

土門拳記念館へ

記念館に到着しました… 綺麗なお庭、きちんと整備もされております。先へ進むと館内へ入る扉が… ギ~..ガチャン おいらの来る所じゃないみたいです…

入館します…
430円

土門拳記念館 入館記念の感想は以下の通りでございます。

山居倉庫を見た後にホシナ食堂で食事をとり そのまま道の駅 庄内みかわに戻ろうと思っておりました… 実話です。でも… ベトナムで若くして命を落とした報道写真家の土門拳の記念館が4Kmも走れば手がとどくところにあるにもかかわらず…見ずに帰ったら きっと後悔すると思ったもんで入館したしだいです。

 きっと、ベトナムの戦場での辛い写真がいっぱい展示されているんでしょう… 命からがら家族で川を渡るあの写真、安全への逃避 だったか… 「戦争の匂いのする今だからこそ見ておくんだい」と… 入館料は430円でした。順路にそって見学しました… 初めにでてこられたのは土門拳賞を受賞した写真家の作品でした。カンボジアで大手企業の土地収奪に対抗している貧しき人々の戦いの写真の数々。その先に行けば 今は昔のベトナム戦争の写真の数々が展示されているんでしょう…川を渡る家族の写真が。ところが奥へすすんだら、「なんじゃこりゃ~」、お寺と仏像の油絵が展示されておりました。※土門拳の古寺巡礼

心の中で… 「ベトナム戦争に従軍した時の写真は2階に展示されているのかな~」…

二階に展示室なんか無さそうだし… 「すみません、土門拳さんの作品の展示はどこにされているんでしょうか?」  「そちらの展示室に土門拳の作品が展示されております」…

「お寺と仏像の油絵」..? よくよく見れば写真でした、芸術的です… 「ベトナム戦争の写真はどこよ~」…○✕▽

頭がクルクル… しばらくして通路の脇に老人の写真と そのコメントがあるのに気が付きました.. 土門拳が癌で..65才の時に…

「え~、65才… ?、おいらの土門拳は35才くらいの時にベトナム辺りでゲリラの銃撃にあい死んだはず」… もしかしたらおいらの好きな写真家は別のお方… ?

ヴォクシーに戻ったおいらはググりました… ああ勘違い、土門拳じゃありませんでした。おいらが好きなカメラマンは沢田教一でした。安全への逃避は沢田教一の作品でした。どおりで記念館の作りがシックリしないと思いました… 

徳の交わり

わりきれない気持ちでペダルをこいでおりました… ちと左手を見れば南洲神社という文字が目に入りました。一度は通り過ぎたんですが 気になって先の十字路を左に曲がって神社まで…

山形の南洲神社
菅と西郷

土門拳と沢田教一ではありません↑、左が菅実秀(スゲ サネヒデ)で右が西郷隆盛です。戊辰戦争のおり庄内藩は新政府軍と一戦を交えて敗北しました。その時の西郷の寛大な措置に感銘した庄内藩士達が明治の時代に西郷と徳の交わりをしたようです。庄内から鹿児島の私学校に留学した青年二人が 西南戦争で薩軍に味方して命を落としたそうです。土門拳記念館でトホホとしぼんだおいらでしたが南洲神社に救われました。

秋なのに

ゆらゆらと7号線を戻りました、国道脇には結構な数のススキが風になびいておりました。

こんなもんでよろしいでしょうか

道の駅 庄内みかわに戻ってきました… 走行距離は45.14Kmでありました。

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