春風が吹くころになると思い出す、東北は宮城県の山元町..
2011年3月11日 金曜日 14時46分ごろ.. ドスンと来たと思ったら、グラグラ..グラグラ..今まで経験したことのない揺れに、「会社を休んでりゃよかったぞ」なんてマジに思ったのを今でも憶えています、事務所は古い鉄筋コンクリート造りで、倒壊するんじゃないかと思ったんです。
職場は横浜市 鶴見区にあり、事務所の隣のコインパーキングに停めたスズキエブリで車中泊をしながら年度末の仕事を片付けていました。
残業して三浦へ帰ると23時近くで、それから風呂に浸かれば寝るのは午前様.. そして翌朝5時には起床して鶴見まで通勤、だから車中泊をしてたんです。
あの震災があったから今がある、それは断言できます。あの震災は多くの人の人生を変えたと思う..
私が今、こうしてブログを書いているのも、東日本大震災があったからじゃないかと.. 戦争や震災などない方がいいに決まってます。ただ、個人的なことを言わせてもらえば、震災で相当なことを気付かさせてもらったのは実話なのです..
もし 震災がなければ、おそらく会社を55歳で早期退職して → 嫁と離婚し、いっ家は離散 → やけのやんぱち 後は野となれ山となれなんて、小さなアパートで独り酒浸りの日々なんてことになっていたかも..
震災直後は、
家へ電話を入れてもつながらずに、家族の安否も知れず、道路からあふれ出る水との戦い..
家族と再会できたのは震災から3日後.. いやまちがいでした、震災の2,3日前から車中泊で仕事をしていたので5,6日後のことだったと思います、そのとき初めて家族の大切さをつくづく実感しました。
そして2014年の4月に宮城県 山元町へ震災復興の仕事で単身赴任することとなり、ひょんなことからブログを始めることになったんです。
毎年、3月11日が近づくと、各局で特集番組が組まれて..
たまたま、昨夜NHKのクローズアップ現代で山元町が映しだされて.. 「山元町じゃねいかよ、懐かしいぞ」..涙..涙なんてことに..
矢も楯もたまらなくなって、本日 南よりの風に吹かれて宮城を目指すことにしました。
旅の始まりは横須賀 林のロータリーから..
衣笠インターチェンジから横々道路に乗って、首都高速から.. 今回は東北自動車道を走ることに。
昼飯タイムは↑蓮田のサービスエリアで、
ビーフカレーは¥1,000-也
利根川を渡り、
西那須野塩原ICで東北自動車道を下りて..
目指すは道の駅 たじま、今日のねぐらはこんなところでしょか、先を急ぎすぎて夜道を走るのは親爺には危険であぶない。
ところどころに雪を残す国道121号線をブイブイ.グイグイ..
途中、塩原温泉の湯宿に泊まろうかとも思いましたが、車中泊ブロガーとしての意地もあるし.. やめておきました。
そんなこんなで、道の駅 たじまに到着、時刻は16時20分、ここが思案の島倉千代子?..
もう1時間くらいならまだ走れるかも..
道の駅 駐車場の脇には除雪した雪が積まれていたので、クーラーボックスから氷用のタッパーウェアを取り出して、解けた水を捨てて、空いた分だけ雪を詰めました。
道の駅 しもごうなら、明るいうちに着けるはずだと、しもごう方面を目指すことにしました。
途中、ヨークベニマル 田島店で夕飯を調達、
ヨークベニマルの駐車場にも雪はありあまっておりました。
結局、道の駅 しもごうへは行かずに、無理をして喜多方にある道の駅 喜多の郷を目指しましたが、夜道に敗退..
20kmばかり手前にある道の駅あいづ湯川・会津坂下でおせわになることにしました。
目指せ宮城県 山元町(1日目 ルート地図) Ⓐ 横須賀 林ロータリー Ⓑ 道の駅たじま © 道の駅会津湯川・坂下
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コメント
先日の長浜ではお世話になりました
あの後も指が痛むこともなく昨日はお伊勢参り
東海道の車の多さ、先々の人混みに疲れ果てたところようやく田舎な雰囲気に安堵しております
こうして南国に来てみれば東北の雪も懐かしい
スタットレスタイヤにダウンジャケット。冬装備の自分が恥ずかしい😅
春の東北は最高でした、怪我をせぬようくれぐれも..