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ここは横須賀 三笠公園

会社を二時間ばかり早引けして 独り酒。それほど呑みたかったわけでもなく、間が持てずに中央酒場を出たおいらは 横須賀市街を徘徊しました。そして時間つぶしに三笠公園を目指したのです…

中央酒場を出て、フラリフラリと国道16号の交差点まで… その先を右に曲がれば、左に入る道があります。

三笠公園の馬蹄形の入り口を左に入れば、その先に三笠公園があります。

途中 横須賀米軍基地(ベース)の入り口はあるし、神奈川歯科大や横須賀学園などもあります… それらを横目に見て

到着しました三笠公園、入り口には 今流行のアルコール消毒用のボトルがぽつんとひとつ。

こんな看板も掲げられております…

「お~… あれが三笠です」… 時は明治38年(1905年)対馬の沖でロシアのバルチック艦隊と戦った我国 連合艦隊の旗艦を務めた戦艦三笠です… もう少し近づいた絵が下の写真になります。

三笠の前にどしりと構えるのは東郷平八郎… 連合艦隊の司令長官を務めた薩摩出身の海軍軍人です… 海戦中はブリッジの上にどしりと構えて指揮をとり、微動だにせず。海戦に大勝してブリッジから離れると、東郷の足が置かれた場所だけが乾いていたとかいないとか…興味のある方は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」などいかがでしょうか。

船首の方はこんな感じで…

この辺りが東郷が立っていたブリッジじゃないかと…

入園したのが遅かったために、艦内を観る事はできませんでした。

「天気晴朗なれども波高し」… 当ブログでも便利に借用させていただいております 一文ですが、全文はこんなようです→ 「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」… 連合艦隊の参謀 秋山真之(愛媛出身)が日本海海戦にあたって、打電した文章です。

三笠公園を後にして 元来た道を戻ります。どうして三笠が横須賀にあるのかは知りませんが、興味のあるかたは各自お調べください… 横須賀が海軍の街だからでしょうか。よこすか海軍カレーは食べたことがあります。普通のレトルトカレーですが、お値段のほうはちと高めです。東北単身赴任中に宮城県は山元町のツルハドラッグの棚で発見した時は、つい嬉しくなり買ってしまいました。郷愁というスパイスがきいていたためでしょうか… 大変美味しかったと記憶しております。

これが横須賀米軍基地(ベース)の入り口です、 往きに通った時にはアメリカ兵の誘導のもと、多くの車がベースより出てきておりましたが… おそらく終業時間の直後だったのでしょう。写真が撮りたくて…「hey… I would like to take a picture.」「It’s no good!」 無視してシャッターを切ろうかとも思いましたが、ズドンと一発撃たれてしまうんじゃないかと… やめておきました。帰りに前を通ると 先ほどのアメリカ兵もいなかったので、だまって一枚 撮らせていただきました。

スタスタ、スタスタと 戻って来ました横須賀中央 …

「焼き鳥 忠孝か~」… 「ちと寄っていくかい」…

「焼き鳥 忠孝の看板に接し、暇なおいらはただちに寄り道、一杯呑むとす。本日天気曇天なれども蒸し暑し」…

最近当ブログの閲覧者数が右肩下がりで、東北単身赴任を止めてしまったことがわるいのか、車中泊旅をしないのがわるいのか… 「最近文章がまとも過ぎて、面白くなくなったね」… などとテニス仲間のゆくちゃんに言われてしまいました、引き続きブログを継続していきますので、ブログ村 バナーのクリックをお願いいたします。

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